伝統工芸の発信窓口を開設。産地の未来を拓く
大学時代に越前漆器と出会い、福井に移住して蒔絵の修行を積む。
結婚を機に、夫の家業である和包丁の柄に特化した製造会社に入社。蒔絵の技術を活かし、伝統工芸の新たな可能性を追求している。
共働き率全国ナンバーワン(※)で、かつ出生率も全国上位を維持するなど、女性が産みやすく働きやすい環境が整っていることで有名な福井県。その中央部に位置する越前市は、女性の就労や子育てについて、とりわけ手厚い支援体制があることで知られている。
今回は、越前漆器に魅せられ、結婚出産後も蒔絵師としてさまざまなチャレンジを続ける山本由麻さん(30歳)に、仕事や子育てなどについて聞いた。
伝統工芸の裏方に光を当てたギャラリーをオープン
山本由麻さんが運営するギャラリー「柄と繪」が位置するのは、越前市の南東部。約700年の歴史と技術が高く評価され、刃物産地としては全国で初めて伝統工芸品の指定を受けた「越前打刃物」の工房が集まるエリアだ。
この「柄と繪」で触れることができるのは、刃物の町で110年にわたり和包丁の柄をつくり続けている山謙木工所の「柄」と、山本さんが手がける蒔絵の「繪(絵)」。通常、単独では表舞台に登場しない和包丁柄や蒔絵にスポットを当てた新発想のギャラリーで、2020年9月のオープン以来、伝統工芸を新たな側面から発信する拠点として機能している。
「開設のきっかけは、福井県の鯖江市や越前市といったものづくりの町で毎年行われている産業観光イベント『RENEW(リニュー)』に参加し、触発されたことです。このイベント会期中に、普段は出入りできないものづくり工房を見てもらうことで、多くの人に関心を持ってもらえることを実感しました。そこで、夫が4代目を務める山謙木工所の柄をはじめ、主に若手職人による越前打刃物を知ってもらう場をつくりたいと思うようになり、山謙が倉庫を新築する際にギャラリーを併設しようということになりました」
静岡県浜松市で生まれ育った山本さん。今につながる美術との接点を持ったのは中学時代だ。気軽な気持ちで入部した美術部で、専門的な絵画技法などを教えてもらったりと部活顧問の熱心な指導に影響を受け、高校は美術系の学校に入学。2年生の頃、静岡にある企業美術館「資生堂アートハウス」で開催されていた伝統工芸展で漆工芸の美しさを知り、東京藝術大学に進学して漆芸を専攻した。
「ただ、大学では自分のやりたいことを学んでいたけれど、将来どうするか悩んでいました。そんなとき、学内のチラシで知ったのが、福井の伝統工芸を体験できるインターシップです。進路を考えるにあたり、“視野を広げたい”との思いから、大学2年の春休みに1か月間、鯖江市にあるお椀の上塗りをやっている越前漆器の塗師屋さんにお世話になりました」
この体験を通じて「福井の人のやさしさや職人の仕事に惹かれた」山本さん。その後も、夏休みや冬休みに訪れ、そのたびにこの地への思いが強くなり、卒業と同時に福井に移住。越前漆器の仕事に従事することを選んだ。
ものづくりの楽しさが体感できるワークショップを開催
山本さんが自分の仕事として選んだ越前漆器は、生産工程に大きな特徴がある。それは、産地全体で分業体制が確立しているということ。伝統的な木製の漆器であれば、大まかに木地製作、塗り工程、加飾(蒔絵など)に分かれている。この工程の中で山本さんが携わっているのが蒔絵だ。
「蒔絵は奈良時代から始まり、今に受け継がれている装飾技術です。漆で紋様を描き、金銀などの金属粉を蒔いて表面に付着させ装飾を行うのですが、紋様が華やかに浮かび上がるところが魅力ですね」
蒔絵師として腕を磨いていた頃、越前漆器や越前打刃物の若手職人の交流会で山謙木工所4代目の山本卓哉氏と知り合い、18年に結婚。これを機に越前市に引っ越し、出産を経て同社に入社した。
現在、山本さんは大きく3種の仕事に携わっている。ひとつは、自社の柄に漆加工をする際の蒔絵の装飾、および塗り工程の外部への発注。2つ目は、越前漆器に施す蒔絵の職人仕事。そして、3つ目は、「柄と繪」での接客販売やワークショップの運営だ。
「仕事の中でも特に、漆器の職人に求められる“多数の器に同じ絵を描き、そのクオリティを保つ”ことに苦戦しています。ただ、美しい工芸品の器には、普段の料理を素敵な食事に見せるパワーがある。そんな漆器づくりを目指して、日々努力しています」
一方、「柄と繪」を運営する中で力を入れているのが、月に1回開催しているワークショップだ。自社だけで開催するほか、越前打刃物を製造販売する近隣の「龍泉刃物」や「タケフナイフビレッジ」とコラボレートしたワークショップを開くこともある。
例えば、午前中は「龍泉刃物」での包丁研ぎ体験、その後「柄と繪」のキッチンスペースで「龍泉刃物」のカトラリーを使用しながらランチを食べる食体験、午後は包丁の柄に漆で絵を描く漆体験という流れで、自分だけの「My包丁」を完成させるワークショップなどが好評だ。
「私は漆文化が身近にはない地域で育ち、漆や工芸を学ぶ中でその難しさやものづくりの楽しさを知りました。この楽しさをできるだけ多くの人と共有したいという思いで、ワークショップの企画を考え、開催しています。伝統工芸と聞くと、“敷居が高そう、扱いが難しそう”と近寄りがたいイメージが先行しがちなので、参加いただいた方にお手入れのコツなどをお話して、身近に感じてもらえたらという狙いもあります。ワークショップを通して、漠然とした伝統工芸品の“気難しさ”が和らぎ、親しみを持ってもらえたら嬉しいですね」
子どもの成長のプラスになる豊かな環境が魅力
蒔絵師として意欲的に仕事に取り組む一方、プライベートでは結婚と同年に出産した男児の子育ての真っ最中。夫の実家に同居しているため、サポートしてくれる家族の存在はもちろん、越前市の子育て環境にも助けられている。
「コロナの様子を見つつ、20年6月に子どもをスムーズに保育園に預けることができました。おかげで、『柄と繪』の開設準備が進み、その年の9月にオープンすることができました。保育園の送り迎えは私がしていますが、標準で18時まで預かってもらえるため、仕事をしている母親としてはありがたいですね」
加えて、越前市は「公園がとても充実している」ところも、子育てをする上でのお気に入りポイント。例えば、武生駅のすぐ近くにあり、気軽に立ち寄れる「てんぐちゃん広場」は、無料で利用できる全天候型の屋内広場。「福井の冬は外遊びがしにくいので、屋内でのびのびと安全に遊べる場所があるのは最高です」と山本さん。
「コロナ禍は中止していましたが、毎年8月に行われる越前市のイベント『千年未来工藝祭』では、和紙漉き体験や木工体験など越前の職人さんたちによる子ども向けのワークショップも開催されます。3年ぶりに開かれた今年、越前箪笥のワークショップで、息子がミニカーづくりを体験しました。職人さんに手を添えてもらいながらノコギリを握り、なんとも真剣な表情でものづくりを楽しんでいました。身近な場所で3歳という年齢から、こうした経験ができる息子がうらやましいぐらいです(笑)」
また、絵本作家のかこさとしや、絵本画家のいわさきちひろが生まれた「絵本の町」として、かこさとしふるさと絵本館があったり、ちひろの生まれた家が公開されているなど、地域の産業や文化が大切にされ、気軽に親しめることが越前市の魅力だという。
「福井に限らず、日本には漆工芸を専門的に学んだ人の受け皿が少ないので、ひとりでも多く漆工芸で生活できる人材を増やし、応援していきたいと考えています。その一環として、今年の夏、『柄と繪』ではインターンとして数名の学生に来てもらいました。来年春には、新入社員も採用する予定です。私が福井の方々にあたたかく受け入れていただいたように、今度は私が少しずつ若手の受け皿となって、漆工芸の楽しさを一緒に発信していきたいです」
福井県越前市で働く
越前市には、認定こども園と保育園が私立・公立合わせて計24園ある。認定こども園とは、幼稚園と保育園の両方の機能をあわせ持ち、地域の子育て支援も行う施設のこと。保育園では通常の保育のほかに、延長保育、休日保育、一時預かりなどがあり、柔軟な対応で働くママやパパを応援する。
取材・文:後藤かおる 撮影:山岸 政仁
* この掲載記事の年齢、役職などは取材のものです
※福井県の共働き率61.2%、全国平均51.6%(総務省「令和2年度国勢調査」より)